2004年元旦号 【Tarchanより新年のご挨拶】 みなさま、あけましておめでとうございます。 *■心のリハビリ・その後 心のリハビリを開始してはや1年半。 しかし脱毛症の方は相変わらずで、徐々に快方に向くものと思っていたわたしの期待とは裏腹に、実際のところ、見た目的には発症当初とほとんど変わらない、というか若干悪化してしまったというのが現状です。(写真参照) ただ一つ確かなことは、一度その機能を失った組織が容易に回復することがないのと同じく、毛髪を作る細胞も一旦その活動を停止すると、新しい髪というのは容易に生えてくるわけではなく、再び活動を開始するまでになるためにはそれ相応の準備期間を要するということなのでしょう。 今までに残っていた長く太い髪も今は生え替わりの真っ最中であり、新しく生えてくる髪はその多くがまるで赤ん坊の産毛のように細く頼りなくなっている現実を考えると、仮に快方に向かっているとしても、おそらく今後数年は今のような状況が続くものと思われます。 前回の編集後記でもすでに言及しておきましたが、脱毛とは 「自己愛が誤った方向(自分を破壊する方向)に向いていますよ」 という体からの警告とわたしは捉えています。 |
■わたしのダイエット遍歴 去年のメンスカデビュー以来、自分自身の生き方や考え方、および自分のダイエット理論を今一度根本から見つめ直す必要に迫られました。 それまでのわたしは自分を甘やかしていた面があるのかも知れません。 つまり理論ばかりが先行し、実際の行動がおろそかになっている自分に気が付いたのです。 しかし、一昨年脱毛症という人生の重大局面に遭遇し、改めて自分の姿を直視してみると、そのあまりの醜さに愕然としたものでした。 頭髪はもちろんのこと、顔付き、風貌、体格、服装、食生活など、生活環境の隅々に渡るまで、およそ自分の目指している理想とはかけ離れた状況にあることに気づいたのです。 初めてスカートを穿いた時の感慨は今でも忘れることが出来ません。 それは今一歩自分の理想へと近づいたという達成感と同時に、自分がいかにいまだ自分の理想とはかけ離れた状況にいるかという絶望感との奇妙な取り合わせでした。 改めて鏡を見てみると、かなり太目感が際立っていたからです。 実は、わたしが食事制限までして本気で痩せようと思ったのは今回で2度目なのです。 プロフィールには書いてはいませんが、この頃からわたしは過食症気味に陥っていきます。 最初のダイエットの失敗以来、自身の痩せたい願望とは裏腹に、食欲のブレーキが利かなくなり、少ない小遣いの中からなけなしの金をはたいてスーパーで板チョコや菓子パンを買ってこっそり部屋で食べたりしていました。 また、両親がわたしのダイエットに当初から全くといっていいほど協力的ではなく、わたしの心の問題についても関心すら払わなかったことも、わたしの食の暴走により一層拍車をかけました。 高校受験を控えた中3になってもそれは止まらず、わたしの心のイライラは募るばかり。 タバコの味を覚えたのもこの頃です。 わたしは重度の愛情飢餓状態に陥っていたのかも知れません。 この頃のわたしはまさしく何もかも歯車が狂った状態だったのです。 |
■まずは食の克服 親からもダイエットを手伝ってもらえず、生きるすべさえ教えてもらえず、すべては自分で切り開き、模索し、悩み、苦しみ抜いて、脱毛症にかかりながらも、スカートまで穿くようになって(スカートはわたしにとって 「いつでも死ねる服装=戦闘服」 なのです)、ようやく自分のダイエットに真剣に取り組むようになった。 ここまで来るのに一体どれだけの時間とエネルギーを費やしたことか! 6月から始まった過酷なダイエットは、心配されたリバウンドも経験することなく、順調に推移していきました。 当初54kgだった体重も、7月に入ると49kg台に突入し、その後約2ヶ月にわたってほぼ1週間に−1kgの割合で体重はみるみる減っていきました。 なお、一般的には食事制限をしても基礎代謝が低下するので思ったほどの効果が得られない、というのが定説ですが、わたしの場合は筋肉の緊張を常に維持していたおかげで代謝率の低下を防ぐことができ、相乗効果となって体重の減少につながったのだと思います。 この時点で目標体重には一応到達したものの、ここまできたらとことんまで痩せたい思いに駆られていたわたしは、それ以後も一日一食の生活を相変わらず続けました。 そして8月下旬にはとうとう42kg台に突入。 ただ、この頃から食事を抜いても体重は一向に減らず、また、目の奥が重たく感じられるようになり、立ちくらみもひどくなってきました。 体がそんな状態だったにもかかわらず、時を同じくして早朝約30分間のランニング&ウォーキングも始めました。 たった30分間にもかかわらず、最初のうちは脚はガクガク、息も絶え絶えでしたが、それでも仕事を再開するまでの約2ヶ月間、一日も欠かさず続けました。 それくらいわたしは痩せたい一心に駆られていたのです。 その後、再び一日一食の生活に戻りました。 体重も9月半ばから10月中旬にかけては42kg前後でほぼ落ち着くようになり、たまに食事を抜いたとしても体重はそれ以下に減ることはありませんでした。 もちろん食事制限を行っている間にも筋肉の緊張は常に心がけるようにしていましたので、こうした事実を考え合わせた結果、わたしの健康体重の下限は42kgではないかと推測できました。 ここまで来ると、残る心配は筋肉の緊張を維持できるかということ、そしてリバウンドでした。 せっかく食事制限までしてここまで痩せたのですから、すぐに挫折させるわけにはいきませんでした。 そうして、ひとまず目標体重をクリアし、肉体についての新たな見識を得たわたしも、そろそろ仕事を再開しなければなりませんでした。 現地へ着くと店長が車で出迎えてくれた。 店に着いてから店長としばしの間談笑。 会話の途中で年齢を聞かれたので 「35です。」 と答えると、店長がすかさず 「顔が若いね!」 と一言。(嬉しいこと言ってくれるじゃありませんか!) 次の日、といっても夜中の2時だが、朝刊配達のため店に出勤。 どんな人が待ち受けているのだろうかと、いつもながらドキドキものの瞬間だ。 バイクで店に到着すると、二人の若い店員さんが駐車スペースでだべっていた。 邪魔するのもなんだと思い、そのまま店の中に入ろうとしたら、一人の方が 「おはようございます。」 と挨拶してくれた。 こっちの方が思わず面食らって「あっ、おはようございます。」 ととっさに返す。 ボクの緊張を解いてくれてありがとう、お兄ちゃん! それは旅館に滞在している時にも十分感じられました。 旅館に泊まり始めてから1週間くらい経った頃から、旅館のおばあちゃんから頻繁に差し入れを頂くようになったのです。 出張中も、基本的に一日一食のスタイルを崩しませんでした。 また、一日二食にする場合でも、お腹がぐーっと鳴るまでは決して食べないことを心がけました。 11月上旬、ひとまず上総牛久での仕事が終わり、そのまま休む暇もなく翌日には次の仕事場である津田沼へ直行。 今度はどんな人たちが待っているのだろう、どれほどの愛を受け取ることが出来るのだろうと期待に胸を弾ませる。 店に入って1週間経った頃、それまではあまり口も聞かず、どちらかといえばきつい感じの印象を持っていた主任さんが、こちらに頻繁に話しかけてくるようになった。 仕事中、わたしのために場所を空けてくれるよう他の店員さんに指示したり、軽い世間話もするようになった。(ちなみに主任とわたしは同年代) どうやらこちらに好意を持ってくれたように思えた。 この店で最初に得た教訓は、人の愛が見えるまでには最低でも三日はかかる、ということでした。 特に最近は、滅多なことでは他人に心を開いてくれない人が大勢いるものです。 そういう人に対しては、まずこちらから心を開いておかねばなりません。 自分が常日頃から愛が欲しいという姿勢を示しておくこと、そういう姿勢を態度や服装などで明確にしておくことが重要なのだということを、改めて認識したのでした。 こうした経験をふまえたおかげで、新しい職場環境での緊張が解けたわたしは、以前にも増して自分らしく振る舞えるようになりました。 仕事中にも婦人用のダウンジャケットを平気で着るようになりました。 わたしくらいの体格だとメンズのジャンパーではぴったりのサイズがなく、婦人の9号が一番しっくりするのです。 そうしたことがまた他の店員さんの目にも留まり、そこから話題も広がります。 自分らしく生きるとこんなにも居心地のいい空間が広がるものなのだということが改めて実感できました。 こうしたこともこの店で得られた収穫の一つでした。 仕事を再開して以来、わたしは一つの重要なことに気づきました。 わたしは以前ほど人を恐れなくなったことです。 それまでは挨拶一つ行うのにさえビクビクものでしたが、今ではさほど苦痛ではありません。 挨拶する時はするし、しない時はしない。 たとえ挨拶を返されなくても気にはしないし、腹も立てない。 以前なら、人からちょっと冷たい態度を一回でもされただけで、すぐに悪意に取ったり、必要以上に腹を立てたり、いじけたりしていましたが、そういうこともなくなりました。 ほんの些細なことかもしれませんが、かねてより重度の人間不信に陥っていたわたしにとっては、これは大いなる進歩なのです。 人を見る目も寛容になった気がします。 「人の愛が見えるのは最低でも3日、長くて3ヶ月」 という一つの基準も得ることができました。 この店での仕事を始めてからようやく気持ちの落ち着きを見せたところで、そうした安心感のせいか、あるいはきつい配達が続き、体の疲労がピークに達したせいかは分かりませんが、店に入って2週間くらい経ったある日、なぜかその日は甘いものや脂肪分が無性に欲しくなり、ついつい口にしたアイスクリームが止まらなくなってしまったのです。 実に食事制限を始めてから5ヶ月目にして始まった最初の本格的なリバウンドでした。 数日後、とりあえず一旦は治まりました。 しかし、以前よりも食欲のブレーキの利きが甘くなったのも自覚しました。 こうした中で、わたしは食の暴走が起こって自己嫌悪の念に苛まれる度に、自分の中で何が起こっているのかを考えてみることに努めました。 何かがおかしい、だからこそリバウンドが起こっていることは明らかだったからです。 もっと食事に愛を感じること、これがわたしの新たな課題となりました。 そこで、まずは食事に愛を取り戻すことが急務だと感じたわたしは、リバウンドを経験して以降、とりあえずスーパーやコンビニで食材を買い求めることを止めました。 そして当座は、街の定食屋さん、しかも夫婦で切り盛りしているような、家庭的で温かな雰囲気を持った店でなるべく食事をすることにしました。 そこでならお金のやりとりとは別のところで何ほどかの愛を得ることが出来るだろう、作り手の熱い思いを受け取ることが出来るだろうと考えたからです。 クリスマス前の22日に津田沼での仕事が終了。 それまでにも主任さんから度々店にアルバイトとして残るよう引き留められていたが、わたしには臨配が一番合っている旨を伝え、丁重にお断りする。 しかし、本当は嬉しかった、そうやって自分が必要とされていることが。 臨配の事務所からは新たな仕事の依頼も来ていたが、HPの更新日が間近に迫っていることもあり、わたしはここで一段落つけることにした。 今のわたしにとっては、お金を稼ぐことよりも、自分の悦びに時間を割くことの方がはるかに大事なのだ。 仕事を再開してから約2ヶ月、ほんのしばらくの間だったが、いろいろと新たな見識も得、愛を溜め込むことも出来たと思う。 |
■人間本来のあるべき姿 人間にとって食の問題は避けて通ることの出来ない根本的な問題です。 特に現代では、いかにして食糧を確保するかという問題の他にも、「いかにして本来の健康的な食のあり方を取り戻すか」 という問題が関わってきます。 人はとかく心の寂しさを食で穴埋めしがちです。 食によって埋め合わせるのが一番簡単な方法だからです。 食の基本はあくまで 「お腹が空いていれば食べる」「お腹が空いていなければ食べない」 というものですが、現代においては、こうした単純な道理でさえ、ちょっとしたことがきっかけですぐに崩れてしまいます。 わたし自身がまさにそうでした。(たかが食欲というなかれ! 食欲を正常に保つというのは、実は想像以上に大変なことであり、一度狂ってしまった食欲を正常な状態に戻すためには、実は莫大なエネルギーを必要とするのです。) しかし、本当に欲しいのは悦びや愛情であるはずです。 これは誰もが心の奥底で薄々感じていることに違いありません。 なのに、それをなぜ簡単に他のものに置き換えてしまうのでしょうか。 なぜ人間だけがそうなってしまうのでしょうか。 自然の摂理に逆らった生き方をしている限り、自然の恵みから直接エネルギーを取り入れることは出来ません。 生きるためのエネルギーはあくまで他の人間からもらわなければならなくなります。 やっとの思いで他の人から手に入れたエネルギーも、ふとしたきっかけで誤った方向に使われがちです。 愛情飢餓に陥った人間たちは不自然な生き方をしている自らの過ちを顧みることもなく、ただひたすら己の命を食いつなぐことにのみ心を奪われ、自然の恵みに感謝することさえしなくなります。 むしろ、まだまだ愛が足りないとばかりに、どんどん草木を切り倒し、海や山や川を荒らし、空気をも汚します。 それがいずれ自分の首を絞めることになろうなどとは夢にも思わなくなるのです。 考えてみれば恐ろしいことです。 自己破壊をまさしく地球という単位で大々的に行っているのですから。 今、地球上には人が溢れています。 ですが、人は溢れているのに、肝心の愛が足りません。 だからこそすぐに殺し合いになります。 愛に生きる人間はごく限られた少数派になってしまいます。 人は自然の摂理に即したものを 「美しい」 と感じ、逆に、不自然なものを 「醜い」と感じます。 それゆえ、不自然なことを重ねれば、人は醜くなり、病気になり、老い、死に近づくように出来ています。 |
『かんたん!筋肉緊張ダイエット』管理人:Tarchan