2005年元旦号
◆岩月教授逮捕に関する特別コラム◆
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すでに一部メディアで報道されている通り、12月某日、あの岩月教授が逮捕された。 詳細は次の通りである。
▲準強制わいせつ容疑で香川大教授逮捕 −人間行動学で著作−
神経症の症状があると相談に訪れた女性にわいせつな行為をしたとして、高松地検は7日、高松市昭和町1丁目、香川大教育学部教授の岩月謙司容疑者(49)を準強制わいせつの疑いで逮捕した。 岩月容疑者は「わいせつな行為はしていない」と容疑を否認しているという。
調べでは、岩月容疑者は02年4月下旬、東京から来た20代の女性のカウンセリングをした。 その際、「今が自己分析をするチャンスだ」などと話し、自宅で一緒に入浴したり、寝室で女性の胸や下腹部を触ったりした疑い。
女性は同年5月、「テレビ番組や著書で岩月容疑者を知って訪ねたら、わいせつな行為をされた」と香川県警に告訴。 高松地検は「女性の供述に信頼性が足りない」などとして不起訴処分とした。 今年7月、女性の申し立てを受けた高松検察審査会が「わいせつ行為の故意はある」と不起訴不当の議決をしたため、同地検が再捜査していた。
岩月容疑者は人間行動学が専門で、「女は男のどこを見ているか」(筑摩書房)など、対人・家族関係について数十冊の著作がある。 検察審の議決が出た際の朝日新聞の取材には「心の傷を治す行為で、私の家族も一緒だった」と容疑を否定していた。
(12/07 22:10)
http://www.asahi.com/national/update/1207/038.html
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わたしはとある雑誌でその事実を知ったのだが、その時にはわが目を疑ってしまった。 まさか…の出来事である。 岩月教授はわたしにとっては、まさしく父親代わりであり、心の師匠でもあった。 その人物が逮捕されたのだ。
逮捕容疑は教授のボランティア活動の一環である 「育て直し」 であった。
ここで 「育て直し」 について簡単に説明すると、幼い頃、親から満足に愛情を与えられず人間不信や情緒不安定に陥った相談者に対し、教授自身(ないしは奥様)が親代わりとなって、様々な体験を通して相談者の思い残しの念を晴らしていく、というものである。 教授はこうした活動を、奥様や時には息子さん共々一緒になって、まさに家族ぐるみで無償のボランティアとして行っていた。
その具体的な内容はというと、例えば、父親役の教授(相談者が男性の場合は奥様が母親役となって)から相談者が哺乳瓶をくわえさせてもらったり、絵本を読んでもらったり、時にはオムツを替えてもらう、という行為を通して、相談者自身が子供に返った気持ちになりながら、本来親から与えられるべき愛情を疑似体験し、徐々に人間信頼の情を取り戻していく、というものである。 これはニュース番組やドキュメンタリー番組で何度か特集されたこともあるので、すでに御存知の方も多いと思う。
こうしたスキンシップ(=身体接触)を伴うやり方には、以前から 「カウンセリングの邪道である」 という批判や、ここでは口にするのも憚られるようなひどい人格的中傷が相当あったようだ。
確かに、カウンセラーと相談者という立場とはいえ、二十歳を過ぎた若い女性に対して、だっこやおんぶ、おしめの取り替え、膝に乗せて絵本を読んであげる等々…のシーンがTVで放映されれば、悪意ある者から見れば明らかに猥褻行為ととられてしまうことだろう。
しかし、今までの教授の著作、新聞、雑誌、TV等での言動など、それらを加味した上で今回の事件と照らし合わせてみれば、わたしには岩月教授が故意に猥褻行為を行ったなどとは、どうしても考えられない。 一部の報道では、さも教授が言葉巧みに女性を自宅に誘い込み、自分の教説を信じ込ませた上で、猥褻行為に及んだかのような記述が散見されるが、わたしにはにわかに信じ難い。
そもそも、この 「被害者」 なる女性の真意が分からない。 なぜなら、この女性は、そうした育て直しの内容について何の予備知識がなかったのならまだしも、以前TVで 「育て直し」 の映像を見た上で岩月教授に治療を依頼しているからだ。 その挙げ句に 「体を触られた」 と相手を訴えるというのは、どうにも釈然としないものを感じるのだ。(おそらく、ここらへんにいったん不起訴処分となった経緯があるのだろう。 事実関係が明らかになるのを待つしかない。)
岩月教授は、最近の著書ではもっぱら 「『育て直し』は誤解と批判を受けるので止めた」 と書かれていた。 実際、TVで紹介されたような事例は比較的穏やか方で、育て直しの実態は、相談相手の怒りや悲しみ、その他諸々の感情をモロに受けとめるほど苛烈を極めるものであり、そのことで教授自身、体調を崩されてしまったという。(時にはストーカーまがいの脅迫を受けたこともあるらしい。)
わたし自身、HPを運営している関係上、好意的な反響だけではなく、時には精神的に立ち入った相談や、あるいは批判や中傷のメールを受けることがしばしばある。 だから、見ず知らずの他人と真正面に向き合うことがどれほど難儀で根気の要る作業であるかは多少なりとも理解しているつもりである。 ましてや教授の場合は本人と直接対面しながらのカウンセリングであるのだから、その心労たるや、わたしなどとは比べものにならないほどのものであったことは想像に難くない。
それでも、教授の育て直しによって思い残しの念を晴らし、見事に立ち直った方は相当数いらっしゃるのだ。 今回のケースは、そうした教授の善意が仇で返されてしまった不幸なケースなのだとわたしは思う。
もちろん、わたしは教授のすべての言説を無批判で受け入れるつもりはない。 ある面では疑問を感じる部分もあるし、180度違う見解を持つ部分もある。
しかしながら、それでも教授の理論がわたしに与えてくれた恩恵は計り知れないものがあることは紛れもない事実である。 思い残し症候群、幸せ恐怖症、家庭内ストックホルムシンドロームなど、一般にも比較的知れ渡っている言説はもちろんのこと、「信頼関係と契約関係の違い」 「親の七掛け幸福論」 「心の感度」 「愛の器の大きさ」 「食事と愛情の関係」 「親の呪い」 等々、これらの優れた卓見の数々は、今のわたしの思想を形成する上では欠かせないものであった。
そうした人が猥褻容疑を掛けられようがどうされようが、自分がいったん 「これだ!」 と信じ、多大なる恩恵を受けた人物を、わたしは安易に否定しようとは思わない。
一方、今回の事件によって、今まで岩月理論に嫌悪の眼差しを向けていた者はますます目を背け、あるいはその理論に何ほどかの理解を示していた者ですら離反する者も出てくるだろう。 そして、そうした人物を擁護するわたしを批判する者も出てくるだろう。 が、それならそれでいい。 その程度の読解力しかなかったということなのだから。
わたしはわたしの心の 「おっしょさん」(これは『家なき子』のレミ少年がビタリス老人に対して使った呼び名だ)である教授を、陰ながらあくまで応援するつもりだ。 旅芸人ビタリスも警官に対する暴力で捕まった。 だが、それは明らかに警官の方からけしかけられた冤罪であった。 にもかかわらず、裁判では負けてしまった。 それでもレミ少年はおっしょさんを信じ、待ち続けた。
たとえ今回の逮捕が覆ることはないとしても、そんなものはどうでもよい。 岩月教授には断固として闘って欲しい。 そして今回の逮捕が不当なものであること、冤罪であることを証明して欲しい。 そして男として、人間としての 「生き方」 を示して欲しい。 ただただそう願うのみである。
追伸
新年早々、やり場のない怒りをぶちまけるような形になってしまい、閲覧者の皆さまには大変申し訳なく思っています。 このような片腕をもがれたような状態のままでは、更新作業などとてもおぼつかず、今回はこの特別コラムだけの更新とさせて頂きました事をどうかご了承ください。
いつかすっきりとした気持ちでの更新を目指し、再び晴れやかな笑顔で皆さまにお目にかかれたらと思います。
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『かんたん!筋肉緊張ダイエット』 管理人:Tarchan
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