■【はじめまして。】 2001年5月27日 Lunerさんより
はじめてメールします。
偶然ここのサイトを見つけて読ませていただきました。
とても面白かったです。 私も 「意志の力」 というものには現在一般的に認識されている以上の可能性を感じていましたし。 最近、やっと言われるようになってきましたよね。
ずっと前の酷評のメール(気になるメール・その2)に対して。
あの、「息を吸うときにおなかを引っ込めるのはおかしい」 という意見です。
私は今音楽大学に通っていて声楽も習っているのですが、確かに、息を吸い込むときにはおなかの筋肉を思いきり緩めます。 でもそのあと、息を吐く前に一度 「グッ」 と横隔膜を押し上げ、支えるのです。
つまり、腹式呼吸でありながら、息を吸っている状態で腹筋に力を入れているという現象は実践可能なのです。・・・実際にはそこまで厳密に力をいれることは求められていないのなら、もっと簡単な話ですよね。
即ち、おなかを 「内側に」 向かって 「引っ込める」 のではなく 「今より少し内側の状態を保つ」 くらいのニュアンスで、どちらかというと縦方向に意識するような感じだとやりやすいかな、とも思います。
要は、「それくらいのイメージを保持しなさい」 ということがあのような表現になったのかな、と思いましたが、どうでしょう?
随分古い話を持ち出してしまって申し訳ないのですが、なにかヒントになれば幸いです。
一見根拠のなさそうなことでも、危険そうでない限り体験的に得たことを発表されるのはとてもよいことだと思います。 だって、世の中の 「科学法則」 というものを導き出すのだって、手順としてはそうなのですから。
それに、私たち傍受する側も、ある程度自己責任で取捨選択すべきことですからね。 勿論、フェアじゃないやり方で 「騙す」 ものに関しては別ですけど。 くわえてtarchanさんもそれを押し付けるようなこともなく、常に謙虚な 「研究者」 たる姿勢を保っておられるようなので全然問題はないと思います。
体って、思っている以上に意識に支配されているものなんですよね。
今巷で話題の 「絶対音感」 にしたって、耳が違うわけじゃないんです。 聞こえているものとしては同じものを、「どう聞くか」 という意識の領域でコントロールしているのです。
私もある程度音が聴けるようになってからも、そうでなかったときと印象こそ違いますけど、聴こえているものは全く同じです。 まさに 「意識」 が耳を造った、ということです。
聴くことだけでなく演奏に関しても、また音楽を離れて演劇の世界なんかでも、そんなことほとんど常識です。 「ストレスで消化不良を起こした」 という現象に疑問を持たない人が、どうして体と意識の関係を否定するのか、不思議でしかたないくらい。
長くなってしまいましたが、私はこれからも応援しています。
私がアイデアだけで考えるのを放棄してしまった分野を、これからもどんどんきわめていってください。 オイシイとこ、もらっていきます(笑)
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