近況コラム


第5版 [2012年5月23日改訂]

2012年元旦号

新春特別コラム 『大発見』

Tarchanより新年のご挨拶

 みなさま、あけましておめでとうございます。 
 2008年4月にホームページの活動を一旦休止して以来、実に3年9ヶ月ぶりの更新です。  この3年9ヶ月という期間は、長いようで短く、その間にもまた様々な体験を潜り抜け、今日こうして再び更新の機会を得ることが出来たわけです。 これもまたひとえに皆様の暖かい愛を頂いた結果による賜物であると思っています。 ここで今一度、わたしに生きるための愛と勇気を与えてくださったすべての人に感謝の意を伝えたいと思います。 どうもありがとうございました。

 今回の更新のテーマはずばり 『発見』 です。 前回のコラムでも述べたように、わたしは自身の脱毛症が克服された時こそ再び姿を現す時であるという希望を胸に、ひそかに更新の機会を窺っていました。 それを支えていたのは、脱毛症は必ず自分自身の力で治すことが出来る、という信念でした。 完全復活するまでにはまだまだ時間を要するのが実情なのですが、2012年がスタートするまさにこの日に、皆様の前で再び笑顔を取り戻すことが出来たことは、わたしにとって無上の悦びとなっています。

 ここで、今回の更新のきっかけを作ってくれた、ある一つの重要なキーワードがあります。 それは 『心の盾』 です。
 これはひょんなことから得られた言葉なのですが、それは脱毛症の克服法だけでなく、「なぜ脱毛症にはいろいろな種類があるのか」、「なぜ女性は禿げにくいのか」、「なぜクールな男がかっこいいとされるのか」 といった数々の疑問に対する答えを芋づる式に次々と解明してくれた、まさに 『魔法の言葉』 でした。

 以下に述べることは、そうした発見に至るまでの過程を含めた、わたし自身の 『心の旅路』 の実践記録とも言うべきものです。 皆様の人生にとって何ほどかの救いとなっていただければ幸いです。




発見までの心の旅路

 それはこのホームページ最後の更新の約7ヶ月前、2007年9月のことであった。
 今まで勤めていた新聞店の店長から突然、仕事をあがるように言われた。 事実上の解雇通告である。(わたしの仕事は新聞配達であるが、普通の新聞配達ではなく、「臨配」といって、いわゆる配達が専門の派遣アルバイトみたいなものである。)
 解雇通告といっても、臨配として店に入っている身であるかぎりは、こうした経験は一度や二度ではなく、けっして珍しくはないことなのだが、それでも3年弱という長きにわたって働いてきた店であっただけに、やや唐突な感じがしないでもなかった。 どうやら景気悪化の影響で経費削減・人員削減の波が新聞業界にも押し寄せてきているらしく、高給取りの臨配など雇っている余裕が無くなったようだ。
 しょうがない、これは臨配にとっては宿命のようなものであるからと、わたしはさほど気落ちすることもなかった。 それに心身共に骨休めには丁度良い頃合だったのかもしれない。 幸いにも、ほぼ3年間休みなしでみっちり働いてきたこともあり、当座の生活に困らないだけの蓄えはあった。 わたしはそれ以降、新たな仕事に就くこともなく、自分自身のことに専念することにした。

 それから約半年後の2008年3月、わたしのホームページの運営プロバイダである 「Highway Internet」 から突然、サービスを終了し、運営を別会社へ移管するとのお知らせが来た。 そのせいでホームページアドレスも変わってしまうという。 また、期限までに移管手続きをしなければ、ホームページは7月に自動消滅してしまうとのことだった。
 わたしにとってはまさに寝耳に水だった。 わたしは正直どうしようか迷った。 まさかそのまま自分のホームページを消してしまうわけにもいかない。 とはいえ、ただ単にアドレスを変更するという、そのことだけをみなさんにお知らせするのも正直言って味気ないと思った。
 一方で、肝腎の脱毛症に関してはこれといった回復の兆しは見えていなかった。 せめて何ほどかの回復を見た上での更新なら格好が付くのだが、現状ではそれも出来なかった。 本来ならば、休養に入ったのだから、仕事上のストレスが一切無くなり、劇的な回復が見られてしかるべきだった。 しかし、そうはうまく事が運ばなかったのである。
 だが、今考えてみれば、それも神が与えてくれたきっかけだったのだろう。 結局、『HPアドレス変更のお知らせ』 という形で現況を吐露することにした。 それが前回のコラムである。

 仕事を辞めてから1年以上たった2008年暮れ、蓄えもそろそろ底を突き、仕事を再開しようと思い立つ。 その頃、世間では 「派遣切り」 のニュースで持ちきりだった。 これに先立つ9月にはリーマン・ショックが起こっており、景気は悪化の一途をたどっていた。 言い知れぬ不安が頭をよぎっていたが、それは奇しくも当たっていた。
 久しぶりに臨配の事務所に仕事の依頼の電話を入れる。 だが、担当者が言うには、仕事は今皆無に等しく、3ヶ月たっても仕事の依頼があるどうかも分からないという。 予感は的中してしまった。
 「やっぱりそうなのか……」 わたしは心の中で溜息をついた。 とりあえず、わたしは仕事の依頼があるまで自宅待機することにした。 しかし、年内に連絡が来ることはついになかった。 こんなことは今まで長いこと臨配の仕事をしてきて初めての経験であった。

 もはや臨配では食っていけないことを身をもって知らされたわたしは、他の業種へ当たってみることにした。 だが、結果は惨々たるものであった。 そもそも40を超えているわたしが選べる業種など限られたものである。 その限られた条件の中でいくつか当たりを付けてみたが、どこに電話しても 「すでに決定」「募集終了」 の返事ばかりで果々しい成果が得られなかった。
 わたしはますます焦った。 貯金もそろそろ尽きかけている。 そんなわたしの目に飛び込んできたのが 「介護」 の募集広告であった。 それまでもTVのニュースなどで何回か目にしたことがあったが、この業界だけは慢性的に人手不足であるという。
 他の仕事は全部駄目、もうこれしかない、と覚悟を決めたわたしは、さっそくとある大手人材派遣会社の医療介護部門に登録申請することにした。 自分に介護の仕事なんて出来るのだろうかという不安もあったが、人助けの類ならこのHPでやってきたことでもあるし、ネット上で培ってきた他人への気配りのノウハウをうまく仕事に生かすことができればなんとかこなしていけるのではないかと、その時は単純に考えていた。
 2009年2月、派遣会社にて面接。 その1週間後には早くも都下某所にある比較的規模の大きいA病院に勤めることになった。

 だが、その病院での仕事もわずか二週間限りでピリオドを打つことになる。
 現実の介護の現場というのは、当初考えていたほど生易しいものではなかった。 下の世話などはその最たるものだ。 患者さんとのふれあいなどというのはありえない。 患者さんと将棋を指していたら 「仕事中だから」 と注意される。(わたしの考えからすれば、むしろこういう何気ないふれあいの方こそ、病気の治癒に繋がるものだと思うのだが。)
 いま自分がやっていることが本当に患者さんのためになるのだろうか、と仕事内容そのものに疑問を感じる場面の連続。 とくに、嫌がる患者さんを無理やり風呂場へ連れて行く、ということには到底我慢ならなかった。 こんな状態では当然、仕事に身が入るはずもない。 失態の繰り返しに先輩格のおばさんには詰られる。 わたしは限界を感じ、ついにはトンズラを決め込んでしまった。

 無断欠勤当日、案の定、派遣会社の方から連絡が来る。 担当者から電話口で延々20分近くも慰留されたことには参ったが、わたしの決心は変わらなかった。 いったん 「こりゃ、だめだ」 と分かったら梃子でも動かないのが、わたしの性分なのである。
 またトンズラだ。 これで何度目だろう。 こればかりはどうしようもない。 本能がそうしろと叫ぶのだ。 むしろ、わたしが気になったのは、そうした自分の性分が脱毛症と何か関わりがあるのだろうか、ということだった。 だが、その時点ではまだ、その答えを見出すには至っていなかった。 それが明らかになるのは、もっと後のことだったのである。

 数日後、派遣会社から連絡が来る。 なんと仕事の依頼だった。
 わたしにとっては意外だった。 トンズラした人間にもはや仕事の依頼など来ないものと思っていたからだ。 派遣会社も介護の分野ではよほど人手に困っているのだろう。 ただし、今度の仕事は介護の仕事ではなく、病院での薬剤の運搬の仕事であるという。(どうやら、わたしは介護の仕事には向いていないと判断されたらしい。) いろいろ考えた末に、わたしはその仕事を受けることにした。
 ただ、一つ気になる点があった。 そこは二人現場なのだが、一人は一年以上やっている人なのだが、もう一人のほうが次々と短期間で辞めていくのだという。 それだけが唯一の気がかりであった。

 新たな勤め先は、都内でも有数の規模を誇る某大学病院の薬剤部であった。 医者も薬もまったく信用していないこのわたしが、病院の、しかも薬剤部に勤務することになろうとは何たる運命の皮肉。 だがもう背に腹は代えられなかった。
 さっそく薬剤部の部長、副部長にお会いする。 部長は年配の女性だった。 一目見て驚いたのは、顔がわたしの母親にそっくりだったことだ。 そこでも何か運命的なものを感じてしまった。
 最初の二日間は研修だった。 わたしの同僚は “ I ” という40代後半の男だった。 研修の合間にいろいろ話をするのだが、その話の端々で 「ここは言わばオレが仕切っているような現場だから」 と言う。
 わたしは正直 「何だコイツ」 と思った。 初っ端からこれだから先が思いやられてしまった。 実際、病棟のあちらこちらで 「ホントにコロコロ人が替わってるよね」 という声を耳にした。 わたし自身、一緒に I と仕事を続けていくうちに、同僚が次々と短期間で辞めていくのは、まさにコイツのせいなんじゃないか、と思わせるような場面に次々と遭遇することになった。

 仕事を始めて二週間くらいたったある日、ふとしたことで I と口論となった。 わたしは日頃の I の同僚を同僚とも思わない傲慢な態度や仕事のやり方について、不満を次々とまくし立てた。
 「同僚に対してそういう態度はないんじゃないんですか?!」 「すこしは先輩としての気遣いを見せたらどうなんですか?!」
 だが、彼は薄笑いを浮かべながらのらりくらりとかわすのみで、しまいには 「俺は俺のやり方を変えるつもりはない」 ときた。 その後も、わたしは事あるごとに I に文句をぶつけてみたが、結局なしのつぶてであった。
 これでは、同僚が次々と辞めていくのも無理はない。 さらに、救命センターでいつも荷物搬入の時に手伝ってくれるクラーク(受付事務)担当の小柄なO女史の次の一言が、その思いを決定的なものにした。 「わたしあの人が来た時には一切手伝わないの。 だって、いい人全部辞めちゃうんだもん。」
 「やはりそうか……。」 わたしは、わが意を得たり、と思った。

 わたしの不平不満が爆発したのは、I がゴールデンウィークの期間中とその前後で、計4日もの有給休暇を取った時だった。 当然、そのしわ寄せはわたしが被ることになり、その期間中はてんてこ舞いの大忙しであった。 そして長い休みから明けて出勤してくる彼が、何か一言でもこちらにねぎらいの言葉を掛けてくれると思いきや、まったく何の一言もなかった。
 もはや 「常識を欠いている」 とかそういうレベルの話ではない。 人間として許せない。 わたしの怒りは頂点に達していた。

 数日後、わたしは 「話があるんですけど」 と言って、倉庫の中で作業していた I に詰め寄った。
  「どうぞ」 I は面倒くさそうに答える。
 「有給を4日も取ったのに同僚に対する労いの言葉が一言もないのはどういうわけですか?!」
 「なんで? どうしてそんなこと言わなきゃいけないわけ?!」
 「・・・・・・」
 「じゃあ訊くけど、お前のほうこそ、今まで俺になんか一言でも言ってくれたことあったか?!」
 「 I さんこそ薬剤部の人にはお菓子なんか配ったりして、同僚に対しては何の気遣いもないじゃないですか。 二重人格もいいとこですよ!」
 「あはは、そうかも知んねぇ」
 「じゃあ、 I さんはこれからも同僚に対してそういう気遣いは一切ないわけですね?」
  I は何も答えないでそっぽを向いている。
 「ちょっといいですか?!」  わたしがそう言うと、I がこちらを向いた。
 次の瞬間、わたしの右の拳が飛んだ。

 人を殴ったのは、生まれてこのかたこれが初めてだった。
 わたしの拳は I の左頬をかすめた。 すかさず I も殴り返してきた。 上背は向こうのほうがかなりある。 わたしは反撃できず唇の端と脇腹に計3発喰らってしまった。 そして、しばらくお互い黙ったまま対峙すると、わたしは 「あんたってほんとにどうしようもない人だね」 と言い残し、そのままその足で部長室へと駆け込んだ。

 わたしは薬剤部長に 「仕事を辞めさせてください」 と切り出した。 「もうこれ以上 I さんと一緒に仕事をすることは出来ません」──わたしの突然の申し出に部長も困惑した表情を浮かべたが、部長は 「わたしはあなたの方がいい、あなたにはぜひ残ってもらいたい」 と慰留してくれた。 わたしは単純に嬉しかった。
 そのあと部長から派遣会社へ連絡が行き、一時間もたたないうちに派遣会社の担当者がすっ飛んできた。 わたしは今回の事件の経緯を説明した。 それで派遣会社の人も納得してくれたようだ。 そりゃそうだろう。 これまで彼と一緒に仕事をしてきた人間がことごとく短期間で辞めており、しかも今回わたしまで辞めたいということになれば、今回の暴力事件がわたしの単なるわがままではないことくらい誰の目にも明らかだからである。
 そのすぐ後、部長、副部長、派遣会社の担当者の三者面談で、I とはこれ以上派遣契約を更新しないということが即時決定。 それを知らされた時はほっと胸を撫で下ろしたものだった。

 その日の午後の運搬が終わった後、薬剤部に戻る途中、エレベーターの中で I と鉢合わせた。 すかさず彼が口を開く。
 「さっきの続きやるか?」
 わたしは 「だめだこりゃ」 と思った。 反省も何もあったもんじゃない。 彼の基本的な考え方や行動パターンは、まさにチンピラのそれなのだ。 「勝つか負けるか」 「殺るか殺られるか」 しかないのである。 もちろん、わたしは 「こっちは言いたいことは全部言ったんだから続きなどごめんだ」 と反論。 エレベーターを降りた後、さっさと薬剤部へ退散した。

 結局、 I は契約満期を待たずに5月いっぱいで辞めることになった。 なぜかは知らない。 だが I には悪いが、これは自業自得だ。 これまでに彼のせいで次々と辞めてきた者たちの怨念がわたしに乗り移ったのだろう。 その怨念がわたしをして今回の行動に走らせたに違いない。
 6月になり、新人のK君が入ってきた。 20代後半ということだった。 最初の挨拶のとき、言葉に覇気がないのが少々気になったが、彼がどうであれ、今度はわたしが教える立場になるのだ。 心して当たらなければならないことを肝に銘じた。

 それから2ヶ月たった8月、頭頂部に猛烈な痒みが走るようになり、脱毛がひどくなってきた。 一体これはどうしたことか。 原因はよく分からなかった。 本来ならば I が辞めたことによって最大のストレスは取り除かれ、劇的な回復が見られてしかるべきであった。 だが、そうはならなかったのである。
 まず第一に考えられる原因は、仕事上のストレスだった。 たしかにわたしは人に気を遣いすぎる面がある。 相手を不快にさせることを極端に恐れるのもそのせいだ。 一方で、自分が納得行かないことに対しては、はっきりと物を言う人間でもある。 実際、K君に対してはいろいろ気を遣う一方で、仕事の面ではいろいろ注意をしてきた。 そのことを後悔したり悩んだりしたことも多々あった。
 では、K君と一緒に仕事することがストレスとなっているのだろうか。 あるいは薬剤部の人たちや病院の看護師さんやその他大勢の人たちと接することがストレスとなっているのだろうか、それとも病院で働いていることそれ自体がストレスとなっているのだろうか。
 だが、わたしは人のせいにだけは絶対にしたくはなかった。 これはあくまで心の問題なのであり、原因は自分自身の中にあるのだと、わたしは自分に言い聞かせた。 わたしはそれ以降、とにかく居ても立ってもいられず、とりあえず体に悪いと思われるすべての要素を自分自身の生活の中から排除することにした。

 だが、9月に入っても酷い状態は変わらなかった。 脱毛はよりいっそう激しくなり、頭頂部から前頭部にかけてますます地肌が透けて見えるようになり、見るも無惨な状態となってしまったのだ。(「これ」はその時に撮った写真だが、あまりの酷さにデジカメで撮影する気にもなれず、とりあえず携帯で撮ったものである。)
 わたしは自分の頭髪の状態のあまりの醜さにいたたまれなくなり、かねてからHP上でも言っていた 「絶対に坊主頭になんかしない」 という公約を、自ら破ることを決心した。


髪の強さは「心の盾」の強さに等しい ─髪と盾の等価原理の発見─

 翌10月、わたしは 「心の非常事態宣言」 を出した。
 何かがおかしいのは明らかだった。 だが、こうした精神的に追い詰められ、どん底状態にある時のわたしは、逆に無類の力を発揮するものらしい。 まるで 「とんちの一休さん」 のごとく、あるいは 「小さなバイキング・ビッケ」 のごとく、この時も、その 「ひらめき」 は突然やってきた。

 まず、わたしはこう考えた。 人間の心の中の 「入力と出力」 の関係である。 心の中に何か悪いものが入ってくるからこそ、出力系統が壊れ、それが脱毛という症状となって現れている、と考えたのである。
 では、その 「悪いもの」 とは一体何か。 一番最初に浮かんだのが 「他者の怒り」 である。
 人間はいろいろな感情を持っている。 その中で、怒りは一番切っ先が鋭いものである。 したがって、他者の怒りの感情を長期にわたって受け続けていると、それはやがて抜きがたい 「他者への恐れの感情」 となってしまうということである。
 わたしは前々から、脱毛は人間の感情の中では 「恐れの感情」 と深く結びついていると確信していた。 実際、東洋医学の五行説でもこのことは裏付けられている。 それによると 「恐れは腎の志」 とあり、物事に対して恐れおののく精神状態を指している。 びくびくおどおどした状態になると腎を損傷する、ということである。 そして、さらに腎は 「骨を主(つかさど)り、髄を生じ、脳へ通じ、その華は髪にあり」 とある。 つまり、恐れの感情は腎を損ない、結果として華である髪も同時に損なわれる、ということなのだ。

 では、恐れの感情を自分自身の中から排除するためには、どうすればいいのか。 他者の怒りにはこちらも怒りで対処すればいいのか、決して逃げてはいけないものなのか。
 いや、そうではないようにも思えた。 というのも、髪の毛がフサフサな人すべてが自己主張が強く、アクの強い人間とは限らないからである。 特に、不可解なのが女性であった。
 女性にもいろいろなタイプの人がいるが、一般的に言って、女性は物腰が柔らかく、控えめの人が多いように思える。 男性ではわがままを押し通すような場面でも、女性は常に一歩引いて、冷静に対処しているように見えるのだ。 その典型としてここで思い出されたのが、同じ薬剤部に勤務するS女史のことである。

 薬務室では室長的な立場にある彼女は、歳は自分と同じ40代(自分よりもちょい上?)で、いわゆる 「キレイ系」 であり、しかも憎らしいほどの 「ドフサ」 である。
 実は、わたしは最初の頃、彼女のことが苦手だったのだ。 上背も自分よりあるし(170cm位)、妙に動きがせわしないし、朝の挨拶もろくにしない、ようするに 「とっつきにくい」 のである。 また、ある時には薬務室から上の階に繋がる狭い階段ですれ違う際、こちらが下で待っていたにもかかわらず、会釈一つせぬまま通り過ぎていってしまった。 この時にはさすがに 「何だ、この女は!」 と思った。(だから、本当はそうではなかったということ、単に愛想がないのが玉にキズの、本当は心優しき女性だということが分かるまでには、ずいぶんと時間を要したものだった。)

 「それにしても……」 とわたしは思った。 どうして女性はああして落ち着いているんだろう。 どうして女性は自己を強く主張するでもなく、いつも控えめでいるのに、頭髪だけはいくつになっても丈夫でいられるのだろう。 やたら自己主張し、力を見せつけたがり、剣を振り回したがる男性と違い、女性は明らかに何かが違う。 自己主張でもない、力でもない、剣でもない何かが。 剣ではない何か……。
 そうか、「盾」 だ!!!

 これこそ、わが生涯における最も素晴らしいひらめきの瞬間であった。

 

『心の盾』作戦開始

 2004年8月31日のコラムにて、わたしは、
 「脱毛とは自己愛が誤った方向(自分を破壊する方向)に向いている状態なのであり、それを治すためには、今まで自己破壊モードに入っていた自己愛を自分を愛する方向へと変えてやることである。」
と定義していた。 それは大枠では正しいものだった。 しかし、この定義だけではあまりにも具体性が欠け、日常においてすぐに応用できる代物ではなかった。
 また、そのコラムでは精神面での 「攻撃と防御」 の大切さについても一応言及していたが、それはあくまで観念上の言葉にすぎず、自らの体験において得られた末の実感を伴った言葉ではなかった。 つまり、2004年の時点では、わたしはまだ相変わらず自己愛の方向性、つまり 「剣の使い方」 にばかりこだわっていて、「盾の使い方」 にはまったく無頓着だったのである。

 そこで、わたしは脱毛症について新しく定義し直すことにした。 すなわち、脱毛とは 「心の盾」 が失われていますよ、という体からの警告である、ということである。
 自己愛の基本は正しい剣と盾の使い方にある。 同僚を殴る行為に及んだことからも分かるように、わたしにはある程度、剣の強さは備わっているらしい。 だが、それだけではやはり駄目なのだ。 このことに思いが至った時から、わたしの強さの理想は、猛獣の牙や爪のそれから、亀の甲羅の堅さのそれへと変わっていった。 自分に今求められているのは 「剣の強さ」ではなく、「盾の強さ」 なのだ。 これはわたしにとって精神の一大転換であった。

 「生涯最も素晴らしいひらめき」 の日の翌日、わたしは早速実行に移すことにした。 名付けて 『心の盾』 作戦。 とりあえず心を防御する方向にエネルギーを使うこと、わたしの行動の判断基準は、この一点に絞られた。
 一番手っ取り早い方法は、何も感じないようにすること、他人の余計な感情は一切入れず、シャットアウトすること、より身近な言葉で言えば、「心を閉ざすこと」 である。(幸いなことに、と言うべきか、今のわたしは天涯孤独の身である。 天涯孤独であることの最大のメリットは、自分を変えようと思った時に即座に変えることができる、という点である。 これがなまじ家庭を持っていたり、大勢の友人知人に取り囲まれた境遇の中では、そう簡単には行かないのだ。)

 だが、わたしには一抹の不安もあった。 「心の盾」 を強くするという、ただそれだけで本当に脱毛症が治るのかどうか、いや、それよりも何よりも、そもそも心の盾を強化することが、愛し愛されることの大切さを説いた岩月教授の理論に反するのではないか、という不安である。
 例えば、心の盾が強すぎる人の場合のことを考えてみればよい。 こういう人は容易に他者の感情を受け入れず、頑なに自己を守り、愛を受け取る機会をみすみす逃しているように思えたからである。(したがって、こういう人は 「若白髪」 になりやすいと思われる。 若白髪の人というのは、おそらく 「心の盾や鎧があまりにも硬くて厚い人」 なのである。)

 心の盾を強化しつつ、なおかつ愛を受け取ることが可能なのか。 これがわたしに課せられた新たなテーマとなった。 今まで剣を振り回すことだけに専念してきた自分にとってはまったく未知の領域であった。 また、心の盾を強化する過程において、では一体、何を基準にして自己愛を貫けばいいのだろう、何を基準にして自己主張すればいいのだろう、何を基準にして喜んだり怒ったり悲しんだり笑ったりすればいいのだろう。 心の盾を強くするとは、具体的にどういうことなのだろう。 この時点では、それがまったく分からなかった。 ここからまさに暗中模索の日々が始まることになるのである。

 「心の盾」 作戦を開始してから、頭髪と心の関係性について続々と新たな仕組みが分かってきた。
 まず最初に分かったことは、人間には大きく分けて次の5つのタイプがあるということである。

表1

 A.ドフサで攻撃的な人 → 剣も盾も強い人
 B.ドフサで消極的な人 → 剣は弱いが盾は強い人
 C.すべてが程々な人
 D.ハゲで攻撃的な人  → 剣は強いが盾は弱い人
 E.ハゲで消極的な人  → 剣も盾も弱い人

※ ドフサ=髪の毛がふさふさな人

 一番数が多いのはやはりCで、一番目立つのはAとEであろう。 極めて分かりやすい事例だからである。(女性はBとCが大半であると思われる。) 一方、BとDのタイプの存在がそれまでのわたしにとって謎だったのが、「心の盾」 というキーワードのおかげでやっとその疑問にピリオドを打つことができた。


 もう一つは、禿げ方の種類についてである。

表2

 A.前頭部が禿げる → タイマン勝負用の盾が弱い
 B.頭頂部が禿げる → より強い者、より上位の者に対する盾が弱い
 C.M字禿げ  → 弱くなりつつある盾の代わりに 「剣」 を盾として使っている
 D.円形脱毛  → 一時的に所々で盾が弱くなる
 E.全頭(全身)脱毛 → 盾が全く失われてしまった状態

 

 それまでのわたしは、前頭部が未来を、頭頂部が現在を、後頭部が過去を象徴するものとして、それらに対する恐れからその部分から禿げていくと考えていたが、それは誤りだった。 それだと円形脱毛、および最大の難問であるM字禿げの謎が解けなかったからである。 しかし、これも 「心の盾」 というキーワードを元に、長い間の思索と徹底的な観察を繰り返した結果、ようやくその仕組みを明らかにすることができた。 つまり、細い剣では体の中心部分しか守れない。 だからこそソリコミ部分から禿げていくのである。

 

 最後に、剣と盾のそれぞれの属性の違いについて列挙しておく。

表3

剣の属性

【〜する】
 何かをすることによって、相手の心に働きかけようとすること。

(例)
気にかける
言う
応える
愛する
魅了する
暴力を振るう



盾の属性

【〜しない】
 何かをしないことによって、相手の感情が自分の中に入ってこないようにすること。

(例)
気にしない
動じない
相手にしない
見ない
言わない
聞かない



 

※わたしは、外見上の美しさ、かっこ良さ、可愛らしさ、お色気というのも 「剣」 の一種であると考えている。(だからこそ 「女の武器」 というのである。)

 以上、3つの表に書かれていることは、「心の盾」 作戦を進めていくうちに徐々に分かってきたことである。 これら頭髪と心のあり方との関係性が明らかになるにつれて、わたしは自分が行っている 「心の盾」 作戦によりいっそう自信を深めていった。 もちろん科学的根拠があるのか、と問われれば、そんなものはない、と答えざるを得ない。 しかし、たとえ推論・仮説の類であっても、それが辻褄が合うものであれば、それは真実に限りなく近いものであるとわたしは確信していた。 だから、あとは実践あるのみであった。

 年が明けて2010年になり、わたしの髪は徐々に回復してきた。 劇的な回復とまでは行かなかったが、前年の夏のような激しい脱毛も治まり、やや頭頂部が透けている、という程度までに見栄えはよくなった。 あとはこのままこの調子で 「心の盾」 作戦を続け、完全復活を目指していくのみだった。

 ところが、春が過ぎ、夏が始まろうとしていた7月、また再び脱毛と痒みが酷くなった。 「心の盾」 作戦は相変わらず続けているというのに、これは一体どうしたことか。

 同じ7月のある日、薬剤部の人とほんの些細なことで口論となる。(今自分に求められているのは盾の強さなのに、またやってしまった。 だが、いざという時の剣はやはり必要である。)
 翌日、出勤すると不思議なことに痒みはピタッと治まっている。 なぜか理由はよく分からない。(剣の誇示が一時的に 「盾」 の役割を果たしたのだろうか。)
 その数日後、自戒の意味も込めて再び丸刈りにする。

 この頃、男であろうと女であろうと舐められたら終わり、の気概がふつふつと湧いてくるようになる。

 9月、頭部の猛烈な痒み、および慢性的な脱毛が続く。 理由は全く分からない。

 10月、K君を仕事上のことで問い詰める。 「やる気あんのか!」 とまで言う。 これ以降、口もあまり訊かなくなるようになり、一日中しゃべらないという日も続くようになる。 わたしは完全に 「追い出しモード」 になってしまった。

 年が明けて、2011年1月、頭髪の状態やや持ち直す。 また、この頃から女性一般に対する警戒心が露わとなる。(今までは完全に無防備だったことに対する反省から。)

 2月、頭髪の完全回復を実感。 HP再開に向けて期待が膨らむ。

 3月11日、病院の中で激しい揺れを感じる。 東日本大震災である。 電車がすべて止まり、約7時間かけて徒歩で帰宅。

 3月末、薬剤部の部長が定年退職。 わたしを慰留してくれた恩師が去るのは、やはり寂しい。

 6月、仕事上のトラブルでK君を怒鳴る。 「お前辞めろ!」 とまで言う。 普通ここまで言われたら反論するものだが、彼は小さな声で謝るばかり。 おそらく彼は上記の表1のタイプで言えばBに当たるのだろう。

 8月、なんとまた頭部の痒みが始まり、とりわけ頭頂部の脱毛が酷くなる。 これはただ事ではなかった。 例年にも増して酷いのである。 (「これ」 がそのときの写真。)
 これまでの経緯から推測するに、わたしの脱毛はなぜか毎年7月頃から酷くなり、9月頃にピークを迎え、やがてまた徐々に持ち直し、3月ごろ回復する、ということを繰り返していたらしいのである。(思えば、自分が脱毛症だと分かったのも2002年の7月だった。) つまり、全体の流れから言えば、全然回復などしていなかったのだ!
 これは今まで順調に 「心の盾」 作戦を実践してきたと思っていたわたしにとって、まさに奈落の底へ突き落とされるようなものだった。

 「心の盾」 作戦は間違っていたのだろうか。 いや、そうではない。 まだ何かおかしいのだ。 まだ何か自分自身の心の中におかしなものがあり、それがいまだに解決されていないために、完全回復まで至ることが出来ないのだ、とわたしは考えた。

 ところで、頭頂部の脱毛が激しいということは、上記の表2で見れば、「より強い者、より上位の者に対する盾が弱い」 ということになる。 では、はたして誰に対して弱いというのだろう。
 ここで、わたしの頭の中に唐突に思い浮かんだ言葉があった。 それは、前から禿げるのが 「学者禿げ」、てっぺんから禿げるのが 「すけべ禿げ」 という、昔からよく言われている言葉であった。
 これを単なる迷信と片付けるのはたやすい。 だが、わたしには妙に引っかかった。 なぜ、てっぺんから禿げるのが 「すけべ」 になるのか。 そこには何か深い意味が隠されているのではないか。 わたしの持ち前の鋭い嗅覚が、そう直感したのである。
 前から禿げるのが 「学者禿げ」 と呼ばれる理由は、比較的分かりやすかった。 ようするに、学者はいつも研究室に閉じこもって学問に没頭しているので、いざという時のタイマン勝負に弱い、というイメージがあるからである。

 では、「すけべ禿げ」 の場合はどうなのか。 何が 「すけべ」 とイメージされるのか。 「すけべ」 というからには、やはり女性が絡んでいるのではないだろうか。 そこでわたしは今一度、女性というものの存在について深く考えを巡らすことにした。


なぜ女性は禿げにくいのか

 なぜ女性は禿げにくいのか、その理由は 「心の盾」 の強さにある。
 生物学的には、女性は 「吸収する性」 であり、男性は 「放出する性」 である関係上、女性は自分自身にとって危険なもの、邪悪なもの、不純なもの、とりわけ 他者の 「怒りの感情」 をまともに受け取ることがないように、常に 「心の盾」 を強くすることでその身を防御している。 本人が意識していようとしていまいと、女性はもともと精神構造上、「心の盾」 が強くなるように出来ているのである。(女性が真に心を開くのは、あくまで 「好きな人」 に対してだけである。)

※女性に特有の 「表面上はにこやかに接しながら心は閉ざしている」 などという芸当は、そもそも男性は不得手である。 こういう演技にかけては、女性のほうが役者が数段上である。(だからこそ娼婦やAV女優のように 「体は開いていても心は完璧に閉ざしている」 などという、ある意味天才的な演技力を持つ女性も存在するわけである。) 場合によっては、結婚して子供まで作っても、なお心を閉ざしている女性さえいる。 それほどまでに女性における心の盾の強さというのは堅牢にして強固なものなのだ。

 また、「髪は女の命」 というが、それは至極当然のことなのだ。 これは単に美容上の問題なのではない。 心の盾を失った女性ほど無防備なものはないからである。 心の盾が強くないと生きていけないからこそ、髪は女の 「命」 なのである。
 女性の思考・記憶方法にも心の盾の強さの秘密がある。 例えば、過去の恋愛の保存方法についてよく言われるのが、女性は 「上書き保存」 であり、男性は 「名前を付けて保存」 ということである。 つまり、それだけ女性は立ち直りが早く、逆に、男性は傷が残りやすいのだ。 これも女性の心の盾の強さを裏付ける一つの例である。

 なぜ、夫の暴力を長年受けながら離婚もせずに耐え続ける妻がいるのか、なぜ、車にクラクションを鳴らされても平気な顔で十字路を自転車で突っ切る女性がいるのか、わたしには久しく疑問だったのだが、これも 「心の盾」 の強さで説明できる。 男性の目線から見れば明らかに危険な状況でも、女性のたくましさや我慢強さや気丈さが垣間見られるが、それもまさに心の盾の強さに由来するのである。
 女性の強さの本質は、剣の強さではなく 「盾の強さ」 にある。──これが女性が禿げにくい最大の理由である。

 生物界では、「産む性」 であるメスが基本形である。 オスはあくまでガードマンであり、子種を提供するための道具に過ぎない。 それは人間でも同じである。 すなわち立場としては、女性の方がはるかに優位なのであり、絶対的な精神力の強さの根拠となっているものである。 これは男性側がいくら努力しようとも追いつける類のものではない。 もともと不可能なのである。
 つまり、女性は生きていることそれ自体が 「剣」 となりうるということなのだ。 だからこそ、女性は男性と違い、やたらと剣を振り回す必要がないのである。

 女性は男性に対しては絶対的な強者である。──わたしがこう考えたのは、男性型脱毛症の特徴である前頭部から頭頂部にかけての禿げ方が、いかにも 「上から手で頭を押さえつけられた状態」 を連想させたからである。 男性に対してこういう立場にあるのは、まさしく女性以外に考えられないからである。 女性は体格的には劣っても、精神的には常に 「上から目線」 なのだ。 そして、世の中の半分は女性なのである。 男性はかくも弱き立場にあるのだ。

 その男性が女性とまともに対峙しようと思ったら、もっぱら剣を強くするか、体格を大きくするか、優れた技量を身に付けるか、あるいは、せめて女性と同程度の強さの 「盾」 を身に着けるくらいしか方法がないではないか。 生きていることそれ自体が存在証明となりうる女性と違い、男性は 「何かをする」 ことでしか、その存在理由を示すことができないのであり、その男性が唯一女性と対等になれる方法、それが 「心の盾を強くすること」 なのである。

 クールな男性がかっこいいとされる理由はまさにそこにある。 もともと男性は、同性である男性からも、そして女性からも怒りを受けやすい立場にある。 したがって男性の場合、常に 「意識的に」 心の盾を強化しておかないと、世の中に渦巻く怒りの剣や矢の攻撃によって、年月とともに盾は破られていく一方となる。
 クールな男性がかっこいいとされるのは、そのクールさというのが、要するに 「心の盾の強さ」 を表しているからであると思われるのだ。 男性にとって 「心の盾」 の強さを維持するというのは、それだけで稀有な能力なのである。

 頭頂禿げが 「すけべ禿げ」 と言われる理由も分かった。 それは、精神的強者である女性に対して盾を持たない→女性に弱い→女性に心を占領されがち→女性のことしか頭にない→すけべ、というイメージがあるからなのである。

※余談だが、西洋人男性は統計上、禿げの割合が他の人種に比べて高いという。 その理由を以前のわたしは 「男性間の」 生存競争の激しさを表す一例だと考えていた。 しかし、どうやらそれは違っていたようだ。
 ここで思い出されるのが、西洋人女性の自己主張のアクの強さである。 わたしは若い頃にアメリカとフランスに留学経験があるから分かるのだが、あの西洋人女性に特有なアクの強い自己主張に何度も辟易させられた思い出がある。 おばさんクラスともなれば、そのアクの強さは最強となる。 もともと女性は生きていることそれ自体が剣となりうるうえに、そこに自己主張の強さが加わるのである。 鬼に金棒とはまさにこのことであろう。 さらに西洋人女性の場合、軍拡競争ならぬ 「美拡」 競争が激しいため、外見上の剣の強さも磨きがかかっている。 このような環境の中では、生半可な心の盾しか持たない男性ならひとたまりもなく盾は破られてしまうだろう。

 女性は精神的には絶対的な強者である。 したがって、その女性に対して 「心の盾」 を持たなければ、すべては無意味である。──これがわたしが導き出した最終的な結論だった。

 わたしは 「心の盾」 作戦を始めた当初、よもや女性に対して盾が必要などとは夢にも思わなかった。 しかし、病院での仕事を通じてさまざまな人と接するうちに、そうではないことが徐々に分かってきた。 1年たってからは、女性に対して“も”盾が必要であると考えていた。 しかし、それでもまだ足りなかった。
 そして2年たった去年、2011年半ばにしてようやく、女性に対して“こそ”盾が必要である、という境地に達することができたのである。 これはまさしく 「等価原理」 そのものの発見にも勝るとも劣らない、最後の最後にたどり着いた本当の意味での 『大発見』 だったのである。


心の旅路の果てに

 「心の盾」 作戦は今現在も続いている。 わたしが今実践しているのは、「男は捨て置き、女には盾」 というイメージトレーニングである。 これはどういうことかというと、男はそこにいないものとして扱い、女には剣ではなく盾で対処しろ、というほどの意味である。
 男同士というのは基本的にライバルである。 その男性に対していちいち剣や盾を用いていると、正直言って身が持たないのだ。 そこで男の場合は最初からそこにいないものとして扱い、後は一切気に掛けないのである。 これは盾としては最強のものであると思われたのだ。(実は、この方法は女性が自分がどうでもいいと思っている男性に対する対処法そのものである。)

 一方、女性に対してはもっぱら 「盾」 で対処するようにした。 男性の剣は女性に対してはほとんど効かない。 女性の盾があまりにも強すぎるからである。 今までのわたしは女性に対してさえもあくまで 「剣」 で接してきたきらいがあった。 もちろんそれはそれでいいのだが、そのあとの 「盾」 のフォローが欠けていたのである。 そこで、剣を用いた後の 「とっさの盾」 が使えるよう訓練を重ねることにした。 そうして、女性側の感情が自分の中に容易に入って来れないようにしたわけである。

 結果が出るのはまだまだこれからと言える。 正直なところ、わたしの頭髪の状態はまあまあ回復してきた、といった程度 [写真参照] であり、完全回復するとしてもはるか先の話であろう。
 そして、その過程ではまだまだこれからも体についての隠された秘密が解かれることがあるかもしれない。 頭髪のことでさえもまだこれくらいしか分かっていないのだ。 それだけ人間の体というものは奥が深いものであるということを、身をもって知らされる今日この頃である。

 今日この時点で完全復活できなかったことはやはり悔しい。 しかし、わたしはまだまだ諦めてはいない。 本当の試練はこれからなのであり、まだ始まったばかりなのである。 それでも今回HPを更新したのは、伝えたいものがある限り、今まさにこのタイミングで出さなければ意味がない、という思いがあったからである。

 なぜわたしがそこまで 「髪」 にこだわるのか。 今回のこのコラムをご覧になった方々の中には、「たかが髪の毛のことぐらいで……」 と思っている人もいるかもしれない。 おそらく大部分の人は、頭髪が薄くなっても 「それは歳のせいだから」 と諦めてしまうに違いない。 だが、およそ薄くなった頭髪を見て悦んでいる人間など一人もいないだろう。 悦びが生まれない状態が長く続けば、確実に生命エネルギーを失い、心も体も蝕んでいくのである。

 今回のこの 『大発見』 によって、「病気とはこうやって治すものである」 「求めているものは探せば必ず見つかる」 ということについて、一つの指針を示すことが出来たと思う。 それだけではない。 自分自身の中の自然を守れないような人間が、より大きな自然を守れるわけがないということを、ぜひ皆さんには理解していただきたいのである。

 それを願って、今回はひとまず筆を置くことにします。 それでは、またいつかお会いしましょう。

『かんたん!筋肉緊張ダイエット』 管理人:Tarchan

 



近況コラムTOPへ

HOME