ちょっと気になるメール・その24

『天下布美の誓い』 についての感想メール(2)
”愛に生きたい30歳”さんの場合です。

【tarchan様】
  2002年11月27日 ”愛に生きたい30歳”さん [三重県 30歳女性] より

 はじめまして。
 前々からこちらのホームページに時々おじゃましていました。 それは単にダイエットに興味があった為で、ああ、世の中にはこんなに外見を気にする男の人もいるんだ、と感心する程度だったのですが、だんだん、この人は私に似ているな(失礼)と、小さな感動を覚えることもありました。
 その理由は、小さい頃から外見コンプレックスがあったこと、大抵の人は外見コンプレックスがあっても、そんなに気にしなかったり、思春期をすぎれば(?)あきらめたり、違うことで自分を磨いて行こう(?)という道を選んだり、整形、化粧品等々に頼ったり・・・すると思うんですが、tarchanさん(以下Tさんでいいですか?)は違った。

 私もそうなんです、意志の力ですよね。
 まあ、私の場合はTさんのように理論的ではなく漠然と・・・信じてたんです。 意志の力を。 でも、他人には言ったことがなくて、ばかにされそうだし、何となくはずかしくて。 それがTさんのような人がこの世の中に、私以外にいた!ということが少し嬉しかったのでした。
 しかし、しかし、今日天下布美のコラムを読んで、びっくりしました。 これって、もしかして私のことじゃないかって、今までの人生の中で日々悶々とつのっていたものの正体って。 はっきりと文章で書いてもらったみたいでした。
 でも、まさにこれが真実と思うと少し悲しかった。 漠然と母のことをそうじゃないかと思っていたけど、やっぱりそうなのか、と。

 でも、Tさん、たとえば愛情少なく育った人を救うことはできないのでしょうか? 最近の私の疑問です。
 昔の私はそうでした。 まさに連鎖の中にいたような気がします。
 そこから自立した(?)のは、ひとりの人から愛をもらったからです。 では、そういう連鎖の中にいる人を自分が救おうと思ったら、心からその人のことを愛さなければいけないのですよね、多分。
 でもそれって難しそう。 やっぱり今の自分には自然に愛せる人にしか愛情がもてない。 でも、連鎖から自分が抜け出した途端、それまでの連鎖つながりだった(?)家族、友人達にはい、さようならとは言えない現在で、しばしば頭を悩ましています。
 どうしてそういう考えなんだろう、とかいらいらして、でも人は人だし、自分が正しいとは限らないし、それほどその人自身にも愛情が持てないし・・・。
 コラムの中に、そういう人達から遠ざかることが大事。みたいなところがありましたが、やはりそれしかないのでしょうか? 自分がどうにかしよう、なんていうのが傲慢なのでしょうか? これが私の唯一の疑問です。
 あとはすべてといっていいほど、Tさんに共感!感激!です。

 ではでは、長くて自己中なメールを読んでいただきありがとうございました。 自分磨き、お互いがんばりましょう! By 愛に生きたい30歳 女性より

【返信】

 ホームページを見てくださってどうもありがとうございます。
 この常態変換法が少しでもあなたのさらなる理想の体型への足がかりとなることを願っています。

 「ひとりの人から愛をもらったおかげで自立できた」 とのこと、本当に良かったですね。 おそらく、その人の愛のパワーがあなた自身の中のもやもやや怒りを吹き飛ばしてくれるほど強いものだったのでしょうね。
 わたしもこのHPを開いてたくさんの人たちからの温かい励ましの声をいただくようになって、ようやく人から愛されることの大切さを学んだといっても過言ではありません。 人は人からの温かい支援によって生かされている、ということを身をもって実感している今日この頃です。

 さて、ではあなた自身が愛情少なく育った人を救おうと思った場合、「心からその人のことを愛さなければいけないのですよね」 ということですが、基本的にはそうだと思います。
 しかし、人間はもともと自分が心から好きな人とでないと愛と信頼の関係を結ぶことができません。 あなたは 「今の自分には自然に愛せる人にしか愛情がもてない」 とおっしゃっていますが、それは極めて正常な感覚と言えるでしょう。
 そういうあなたが他人を救いたいと思ったら、まずはあなた自身が幸せになり、たくさんの人から無償の愛を受け取ることによって、あなた自身の愛のパワーを高めるしか方法がないと思います。

 物事は何でも 「おのずから」 という気持ちが大事です。 無理して好きになろうとしたり、親切にしようとしたり、愛そうとすると必ず失敗します。 自分自身の中から自然に湧き出てきた感情によって行動することこそ、自分自身はもちろん、他の人をも幸せにする原動力となるものです。
 そういう自然な感情が湧いてくるまで、あなたはあなた自身の幸福を徹底的に追求するべきだと思います。 なぜなら、幸せな人間にしか人を幸せにすることができないからです。 不幸な人間は間違いなく他人の幸福に嫉妬します。 あなたが幸せにならない限り、他人を幸福にすることはできないのです。

 そして、そのためにはやはり悪い人間関係を断つところから始められることを強くお勧めします。 これなくしては何も始まりません。 人は何かを得ようと思ったら、何かを捨てなければならないのです。 悪い人間関係を断たないまま新しい生き方を歩もうとしても、必ず足を引っ張られます。 せっかくの新しく築き上げた良い人間関係もすぐ破壊されてしまいます。 しかも、ここぞ、という時に破壊されてしまいます。
 特に、親から嫉妬や怒りや悲しみなどのマイナスな感情ばかり受け取っていると、他人と愛と信頼の関係を結ぼうとしても、いざという時になると怖くなって、無償の愛を一切受け取ることのないまま、元の鞘に納まってしまう可能性が高くなります。 これでは何の進歩もありません。

 こういう場合、人はたいてい自分が努力することによって親や周りの人たちにも変わってくれることを期待するものですが、こうした努力は実ったためしはほとんどありません。 なぜなら、変わってくれることを期待している時点で、すでに見返りを求めていることになるからです。 逆に言えば、変わってくれなかったら怒りや悲しみが増してくるということです。
 これは、いわゆる 「わたしがあなたを愛するから、あなたもわたしを愛してほしい」 という契約関係です。 「好き」 という感情が最初から欠けている不毛の関係なのです。 一方が犠牲になって他方を悦ばせるような関係からは、愛や信頼は決して生まれないのです。

 人間関係には、次の二つしかありません。 つまり、付き合えば付き合うほどうれしくなる、楽しくなる関係か、あるいは付き合えば付き合うほど心が寂しくなっていく、イライラしていく関係です。
 自分に心の葛藤をもたらすような人間関係は、ずばり言って悪い人間関係です。 つまり、悦びのかわりに怒りや悲しみをより多く受け取っているということです。 そして、それは友人関係だけではなく、親子関係でも十分起こりえるものなのです。

 あなたは 「家族、友人達に、はい、さようならとは言えない現在で、しばしば頭を悩ましています。」 とおっしゃっていますが、その気持ちは良く分かります。 わたしもあなたに対して何もあからさまにご家族や友人と今すぐ断絶することを勧める気は毛頭ありません。
 ただし、あなたが他の誰かから無償の愛を受け取ろうとした時、家族や友人から激しく嫉妬されたり、無関心を決め込まれたりするようなら、その時にこそはっきりと断絶を宣言するべきでしょう。(本当に愛情深い人間なら、あなたが他の人から無償の愛を受け取ることをむしろ一緒になって喜んでくれるはずだからです。)

 あなたが自分に向けられた母親の嫉妬や怒りや悲しみの感情を直視できたことは大変な進歩だと思います。(たいていの人はそうした事実さえも見たがりませんし、見えたとしても決して認めようとしないものです。)
 今度はそこからさらに一歩前進して、あなたの行動のすべてを無償の愛を得る努力一点に集中させるべきです。 つまり、あなたの心の中から今まで周囲の人間たちから受け取ってきたマイナスの感情を一掃し、より純度の高い愛情でもってあなたの心を満たす努力を重ねられることです。 そして、それを今までの人間関係によってではなく、新しい人間関係によって実現させるのです。 新しい人間関係とは、言うまでもなく、あなたが本当に心から好きだと思える人たちです。

 あなたの幸せを願ってくれる人は、あなたが思っている以上に世の中にはたくさんいるものです。 遠慮はいりません。 早ければ早いほどいいです。 どうか勇気を持って新しい人間関係を築き上げ、無償の愛をどんどん取り入れていってほしいと思います。
 すべてはあなた自身の意志の力にかかっています。 頑張ってください!




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